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見納めの桜
私は両親を共にがんで失った。2人ともに、最後まで本人にはがんであると告げることができなかった。
最初にがんで倒れたのは父であった。見つかった時は、既に全身に転移していて手遅れであった。母と相談し、治る希望がないのであれば、本人には告げないと決めた。病状が悪化し、ベッドから自力で起き上がれなくなったころから、本人は疑問を感じたようだ。なぜ悪化する一方なのか。一度だけ、真剣な目で私に聞いた。「亮一、おれ何か悪い病気か」と。 告知しない場合、最大の問題は、病人にとっていつまでも不安と疑念が消えないことだろう。一方、家族にとっては、隠し続けるつらさと、逆に本当に言いたいこと、たとえばこれまでの感謝の気持ちなどを何一つ言えないことである。本人も、人生の最期が近いことが互いにはっきりすれば、言いたいことはいろいろあったろうに。 4年後の母のときも、似たような状況であった。胃がんが見つかった時はもうかなり末期で、全部摘出したが、腸に転移した。ますます悪化する病状に、「私はこの先どうなるの」と聞かれ、返事に窮した。父ががんと知った時にあれほど打ちのめされ、悲しんだ母に向かって、あなたも末期のがんですとはどうしても言いかねた。 医者からはもう最後の宣告を受けていた春のある日、母を連れて付近をドライブした。金沢文庫の称名寺の桜が満開であった。木の下に立ってきれいだ、きれいだと連発する母の姿は、桜を散らせる風に吹かれて、いかにも頼りなげであった。「お母さん、見納めの桜ですよ」と心の中で叫んだ。 病院で亡くなる直前、まぶたが下がってきて開かないと訴えていた。見舞いに行って帰りに病室を出る時振り向いたら、何と自分のまぶたを指でこじ開けて私を見ようとしていた。まさに死力を尽くして息子の姿を追ったのだ。翌日、急変の知らせを受けて駆け付けた時は、そのまぶたはもう二度と再び開くことはなかった。 父にも母にも「ありがとう」の一言を言えずに別れたことは、いまだに悔いが残っている。 横須賀市長 蒲谷亮一
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