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亡き両親の思い出
生前の私の両親を一言で表現するとすれば、「善良」そして「質素」だ。
名もなく、地位もなく、お金もなかった。ごく平凡な市民だったが、私にとってはか けがえのない、大切な両親だ。愚直に生涯を生き抜いた両親を、私は誇りに思い、尊 敬している。 ぜいたくとは無縁だった。質素が生来身に付いていて、ぜいたくしようにもできない ようだった。外食も旅行も、私は勧めたがめったにしなかった。母の唯一の楽しみは 庭いじりで、暇さえあれば外に出て草取りや、植木の手入れをしていた。たまに「思 い切って買ってきた」などと言って、小さな植木を庭の隅に植えていた。父は戦時中 の癖か、短くなって握れない鉛筆を金属製の筒のようなものに差して、大事そうに 使っていた。 質素だが幸せな家庭、これが私の少年時代の記憶だ。この家に生まれてきてよかった と、子ども心にいつも思っていた。 決して裕福ではないが心は満ち足りて、家族仲良く小さな食卓を囲み、日常のささい な幸せを皆で喜ぶ、そんな庶民的であたたかい家庭だった。今思えば、両親がありっ たけの愛情を、まさに太陽の光のごとく降り注いでくれたことに、感謝の思いでいっ ぱいだ。私は、自分の長所の一つは素直な性格にあると思っているが、これは両親が このような家庭環境の下で私を育ててくれたたまものであると信じている。 長い間、自分の誕生日は、他人が私を祝ってくれる日と思っていた。しかしある時、 そうではなく、誕生日とは私に生を与えてくれた両親に感謝すべき日であると気がつ いた。以後毎年、誕生日には両親に感謝の電話をすることにした。戦争中の大変な時 に私を生み、育ててくれてありがとうと。生前は照れくさくてそれ以上は言えなかっ たが、本当は言いたかった。私のすべて、この健康な体と健全な心を私に与えてくれ て、本当にありがとうと。 二人とも既にこの世にはいない。しかし目をつぶれば、元気なころの温顔が生き生き とよみがえる。にこにことほほ笑んで、優しく私を見つめている。もう恩返しもでき なくなりましたが、本当に、本当に、ありがとう 横須賀市長 蒲谷亮一
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