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悲しみは無限大?

私にとってこれまでの人生で最大のピンチは、平成7年11月に突然訪れた。妻が49歳の若さで急逝した。残された私と3人の子どもは、悲しみのどん底に突き落とされた。
 単に「悲しい」という表現ではとうてい言い表すことのできない苦しさ、精神的に耐えられるか自分でも分からないギリギリの状態であった。職場にいる間は何とか気が紛れたが、帰りの夜道では月を見ながら、一人で泣いていた。電車に乗ると、大勢の乗客の中で自分だけが特別に不幸な人間のように思えた。仲睦(むつ)まじそうな年配のカップルを見るのがつらかった。 ちょうど阪神・淡路大震災があった年だった。震災で多くの人が肉親を失った、不幸なのは自分だけではない、などと思いつく限り理屈を並べてみても、つらい気持ちを和らげることは不可能だった。月日がたてばこの苦しさは薄れてゆくのだろうかと期待した。
 しかし、いつまでたっても苦しみは減りはしなかった。昔、学生時代に数学の授業で学んだ「無限大」という概念を思い出した。無限大からいくら数を減じても、割り算しても答えは無限大である。もしかしたら、この悲しみは無限大なのでは、とすら思われた。 この大きな試練を何とか乗り切れたのは、子どもたちの存在が大きかった。
 まだみんな小さかったが、誰一人父親の前では涙を見せなかった。私も子どもたちの前では平静なふりをした。皆自分の部屋で一人で泣いていた。 家事は全員で分担した。お父さんはごみを出すから君は洗濯を、といった具合に。母親がいなくなってから、私と子どもたちの心の絆(きずな)はむしろ強くなったように思う。苦労は大きかったが、家族がいたから互いに支え合えたと思う。
 あれから10年、今は私も子どもたちも亡くなった妻、母親のことを穏やかな気持ちで思い出し、懐かしむことができる。私は故郷横須賀の市長となり、子どもたちは就職したり、結婚したりして一人前になった。立派に成長した子どもたちの姿を見ることもなく、一人早々とあの世に旅立ってしまった妻は、どのような思いでわれわれ家族の姿を見つめているのだろうか。

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